「猿間さん…生きていたんですね」
郁の声が震える。頭に強い衝撃を受けたかの様にただ目の前の人物を見つめていた。
漆黒の神父服に身を包み、左腕には銃弾の残り香が残るライフル銃をぶら下げていた。無表情のまま銃口を郁に向けた。
「っ、郁!ぼっとするな馬鹿」
夕凪の声が響くのと同時に右頬に銃弾がかすめた。
郁は我に返り、狙撃範囲から離れ、教会の柱に身を隠した。一息つき、頬に触れると少量だが血が流れていた。
「あれれ、ノアの箱舟の目的はデッドの駆除だよね?僕にかまってていいのかな?」
「ちっ、今はお前が先だ!世釋!」
夕凪は世釋に刀を振るがきれいに交わされる。
「お前らの目的はなんだ!なんでデッドを増殖させる?!」
「夕凪。お前にはわからないと思うよ?むしろなんで教えないといけないわけ?」
「…お前を捕まえて吐かせてやる」
夕凪は間合いを詰め、刀を突き刺すように世釋の腹に向けるが、目の前に突然現れた心葉によって夕凪は刀の軌道をそらした。
心葉は左手が赤黒く変形し、爪は鋭く尖っていた。息は荒く吐き出される。
「…ふざけるな。約束が違うじゃないか。お前の言うことを聞けば他の俺みたいな奴らから花菜を逃がしてくれるって…!」
「あー、言ったね。他のデッドから彼女を喰わせないようにするって。でも無理でしょう?いつか彼女は喰われるよ。愛したデッドに」
「…俺は、花菜を喰べたりしない。今だって俺はあんたに渡された普通のパンを、」
「本当、全然疑いもしてなかったんだね。デッドが普通の人間が食べるモノで空腹が満たされるわけないじゃん。君に渡してたパンに何が含まれてたか知ってる?僕が君に集めてもらった女の血肉だよ」
「は」
「君と彼女が愛の逃避行をしようが、いつか君は人間の血肉を欲しがる。そして彼女を喰らうよ。ハッピーエンドになんかならない」
世檡はにこりと笑うと、心葉を指さす。
「前の君の方が好きだった。もう要らない」
そう言うと、大量の銃弾が心葉の身体を貫き、崩れ落ちた。夕凪は銃弾を刀で弾きながら銃弾の波から距離を取った。
「流石タイミングバッチリだね。エンマ」
世檡は嬉しそうに、自分のもとに近付くエンマの腕に絡まりついた。
「やっぱり君を連れてきてよかったよ。さっきから君に銃口を向けて絶望的な顔をしてる彼を見れたんだから」
郁は銃を持つ右手の震えを止めるかのように左手を添える。目の前で行われた無差別な銃殺。それをやった猿間に。ただ恐怖を感じていた。
「なんで…こんなことするんですか?西野さんは人間なんですよ?心葉さんだってデッドでもこんな…違う方法だってあったかもしれないじゃないですか」
「はは、笑えるね。さっきまであそこの女にデッドは危険だ。近づかない方が良いとか言ってたくせに、同情でもした?第一無差別に殺してるのは君たちの方じゃないか」
郁は銃を握る手に汗がにじむ、彼の言っていることは当たっている。デッドの恐ろしさは身をもって知っている。
「私は、ただ心葉と一緒にいたいわけじゃない」
声が響き、皆、西野に視線を向ける。西野はリリィに支えられながら声が途切れながらもつぶやく。
「私だって、心葉が普通の食事じゃ満足しないこと分かってた。貴方が心葉に渡してたパンが普通のものじゃないってなんとなく気づいてた。バイト行くふりして心葉の後をつけて、貴方たちが何してたか知ってた。でもこれ以上心葉を傷つけたくないから黙ってた…」
西野は咳き込むと押えていた手には大量の血がついており、息も弱弱しい。
「心葉には怒られそうだけど、私は心葉に喰べられてもよかったんだよ。心葉にはいっぱい幸せもらったから、心葉が私を地獄から救ってくれたから…」
「西野さん…」
「心葉は幸せになっちゃいけないの?人間じゃないから?私は幸せって平等にあるって思ってる。私はただ心葉を幸せにしたいの。それなのになんで、なんで…」
西野は顔を歪めながら、訴えるように言葉を絞りだす。
「西野 花菜さんだっけ?君の最後の言葉として頭の片隅にでも置いとくよ。そろそろ人も集まってきそうだしね。それじゃあ、ノアの箱舟の皆さん。またね」
世檡はにこりと笑うと、世檡達の後ろに扉が現れる。扉がゆっくりと開き、世檡達はその中に入っていく。
「っ、猿間さん。待ってください。行かないでください」
郁は猿間を引き留めようと腕を伸ばす。猿間は振り向き、郁の顔を見ると「…俺はお前のことは知らない」と一言つぶやき、扉がバタンと閉まった。
郁の手は行き場をなくし、ゆっくりと下される。唇を強く噛み地面を直視することしかできなかった。
「げほげほ…!!」
西野の激しく咳き込む音が聞こえ、郁は西野に駆け寄る。
「西野さん…!ごめんなさい。俺、貴女の気持ちなんて考えてなくてただ俺、自分のことしか考えてなくて…心葉さんにもなんて言えばいいか」
西野は郁にほほ笑む。
「郁くん、貴方を責めるつもりはないわ。貴方さっき目の前で人が死ぬのは見たくないって言ったわよね?大切な人を失いたくないって。その気持ち忘れないで、私達みたいな人もいるんだって覚えていて…」
西野は背中をさするリリィに視線を向けると申し訳なさそうにつぶやいた。
「…お願いがあります。心葉のそばに行かせてくれませんか?」
リリィは鼻水をすすると、「わかりました」と言い、西野を支えながら心葉の元へ近づく。
西野は心葉の傍に座ると、心葉の頬に触れる。
「冷たい…。心葉ありがとう。大好きだよ。恩返し結局できなかった…ごめんね」
「恩返ししてると思うぞ。私は」
夕凪は刀を鞘に納めると、西野の横にしゃがむ。
「あんたと一緒にいるだけで幸せだったと思うぞ。ここ数日あんた達を見て思ったよ」
「そっか…。よかった」
西野は安心したかのように目を閉じ、静かに息を引き取った。

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・

「この責任はどう取るつもりだ。アンダーグレイ君」
今、郁達は【ノアの箱舟】の本体である上層部の人間達に囲まれている。郁の位置からは上層部の人間の口元までしか見えない。
あの後、郁達より先に心葉たちを見張っていた上層部の人間達が教会裏の林で無残な死骸となり見つかった。仰向けの状態に両手を胸の位置にクロスしていたという。
聞くと、世檡の遊び心で遺体をそうするらしい。
「あれほど、被害者の人間を危険に晒すなと言ったはずだ。それもアルカラによって殺されたと?」
「西野花菜は幸い身内もいなく、世間ではどこか外国に行っているということで済みましたが…アンダーグレイ君。君の監督ミスでは?」
「むしろこちらに世檡の身内がいるということが害なのでは?情が移るようなことがあったのでは?」
口々に上層部の人間達はラビに向かって棘のある言い方をする。
「化物の管理も出来ないとは、アンダーグレイ君。相討ちでもいいのだよ?化物同士自滅でもしてもらえれば…」
「な…!」
その言葉に郁は身を乗り出そうとしたが、ラヴィは首を振り止める。
「しかし、上層部が送り込んだ人間では何も出来なかったのは事実。ラヴィ達部隊がいなくてはアルカラに手も足も出ないのではないですか?」
一人の女性が手を上げ、発言をすると上層部の人間は口ごもる。
「…これからこのようなことがないよう務めたまえ。アンダーグレイ君。以上だ」
「申し訳ございませんでした。以後このようなことがない様、部下を指導させていただきます」
ラヴィは深く頭を下げ、郁達も同じように頭を下げた。入口を出ると、先ほど手を上げ上層部の人間に発言した女性が手を振った。
「なっちゃん!さっきはありがとう!上層部の人達にがつんって言ってくれて~」
リリィは女性に抱きつき頬をすりすりさせる。女性も笑いながらリリィの胸をぽふぽふ揉みながら笑う。
「また胸成長したんじゃない?リリィ。やわっこいわ~」
「やん。感じちゃう~」
「そんな声出すと襲っちゃうぞ?」
「ここで変態発言しないでくれますか…七瀬さん」
夕凪はため息をつくと、七瀬と呼ばれた女性はにこにこしながら夕凪の頭を撫でた。
「夕凪もさらに可愛くなったなぁ~」
「かわ、可愛くなんかないし!!」
夕凪は顔を赤くするが、大人しく撫でられていた。
「久しぶりに収集とかいわれるからびっくりしたわ。上層部の人間も相変わらずだなー、口だけ達者で」
七瀬はやれやれと言いながら、肩をすくめる。
「ここから第五支部遠いからね。ホント助かったよ七瀬」
「私は言いたいこと言っただけだし。あと、第五支部のメンバーの一部こっちに異動になったんだわ」
「そうなんだ」
「異動と言っても、第二支部に数名メンバー補充ってことだよ。私と後から2名来る予定。本格的に加入するのは一か月先だってさ。それよりこの子が噂の」
七瀬は郁に視線を向けると、にこりと笑う。つられて郁も笑うが少しだけ笑顔が引きつる。
「私は七瀬。西にある第五支部に所属している」
「あ、よろしくお願いします。狗塚 郁です」
「郁くん、君の噂は聞いてるよ。混血吸血鬼だってね。…というか顔色悪いね」
「あ、いや。なんかさっきから喉乾いてて…すいません」
郁はノアの箱舟に戻ってきてから、喉が枯れるような痛みを感じていた。風邪の症状に似ている。
「…郁。ちょっと私と来い」
夕凪は郁の腕を掴むと、ラヴィ達に一礼すると郁を連れ、医務室に入る。
医務室はしんと静まりかえっている。郁は医務室のベッドに座らせると、夕凪はセーラー服の帯を外し始めた。
「え、夕凪ちゃん?ちょっとなんで脱ごうとしてるの?」
郁は立ち上がり、制止するが振り払われベッドに投げ出される。夕凪に馬乗りされ、身動きが取れない。
「お前、いつから飲んでない」
「え、飲んでないって…」
「私がお前に渡した輸血パックの血は飲んだのか?」
輸血パックとはあの時夕凪に渡されたものだと思い出すまで時間がかからなかった。
「いや…飲んでないけど」
「はぁ?馬鹿かお前一滴も飲んでないとか…。今お前は餓死状態だ」
「え、でも、飯とかは食べたし…」
「普通の食事だとエネルギーが足りないんだよ。郁。私に噛みつけ。血を飲め」
「は、いや…でもこれ以上俺に近付かないで夕凪ちゃん…俺なんかおかしくて…」
喉が焼けるように痛い。胸がドクンドクンと脈打ち、めまいもする。
「…お前はもう人間じゃない。吸血鬼なんだよ。今拒否れば理性なくして他の人を襲いかねないんだよ」
俺が人を襲う?まるで恐れていたデッドの様に人を襲うのか。
「あー…もうくそ!」
夕凪は自分の腕に牙を立てると血をすすり、郁の唇に口づけた。郁は驚き目を見開く。唇を割るとドロッとした生暖かい液体が郁の口に広がる。夕凪の血だとすぐにわかったが唇から逃れることができない。
視界が歪み、次の瞬間逆に夕凪を押し倒した。唇が離れ、倒れる弾みで夕凪が目を瞑る。郁は夕凪の首筋に噛みつくと勢いよく血をすする。
「っ…」
血を欲するように頭に電気が駆け巡る。やめろやめろと何かが叫ぶが力が溢れてくるのを感じた。
夕凪は衣服を正し、医務室から出ていく。郁はベッドにうなだれながら夕凪の背に声をかける。
「…ごめん」
「さっきまでの喉の渇きが嘘みたいだろ。今度からは接種しろよ。輸血パックが駄目ならラヴィさんに相談してみるから…」
「…うん」
「お前はおかしくないから。そんな傷ついた顔するな。私達にとって逃れられないだよ吸血本能は…」
「…うん」
「デッド達もそうなのかもな。でもデッド達を狩らないと駄目なんだ私たちは」
「…うん」
「今日の事はお前の責任じゃない。悪かった。辛い役させて…」
「…俺、二人を見逃がしてあげればよかったのかな…」
「…さあな」
夕凪は扉を閉めると、医務室には郁のすすり泣きの音が静かに響くだけだった。



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