夕凪は医務室のドアに閉め、ため息を吐いた。
「あ、おかえり。夕凪」
声のした方へ顔を向けると、こちらに手を振りユヅルが近づいてきた。
「…お疲れ様。ユヅル、頼みがある」
「話の内容によって判断するけど、いいよ」
「郁にアレをさせてほしい。レベルはユヅルに任せる…」
「任せるって言っても、彼の実力見たことないし…」
ユヅルは医務室の扉をちらっと見ると、困ったように頭を掻いた。
「危ない場合は私が援護する」
「…わかった。とりあえず今日は自室で休みなよ。明日準備しておくから」
「そうさせてもらう。そうだ。さっき七瀬さんと会って…」
「え。七瀬さん?あの人に捕まると朝まで帰れなさそうだからな…見つかる前に僕もお暇させてもらおう…」
「いや。もう無理だと思うよ。後ろ…」
ユヅルの後ろから手が現れ、首に絡む。
「久しぶりだなー!ユヅ坊元気してたか?」
七瀬がユヅルの背中に飛びつく。ユヅルは少し態勢が崩れたが立て直すとめんどくさそうに笑顔を七瀬に向ける。
「お久しぶりですね。七瀬さん。僕、そろそろドールの調整をしに行かなくてはいけませんでしてね…」
「ラヴィとさっき呑み行こうって話になってさ。ユヅ坊も来るよな?」
「いやです」
「いい酒手に入れてさー、辛口【鬼姫】。なかなか入手困難なんだよ。付き合ってくれたらなんでもお願い聞いてあげるよ?お姉さん」
「僕は行きませ「来るよな?ユヅ坊」…喜んで行かせていただきます」
「そう言ってくれると思った。それじゃ行くぞー」
七瀬は上機嫌になりながらユヅルとラヴィと酒場に向かって行ってしまった。


朝7時。夕凪とリリィに連れられ、郁は広いホールに入った。
「郁。昨日のことだけど聞きたいことがある」
夕凪の声がホールに響く。ホールの周りが防音状態になっていることが窺えられた。
「昨日、世檡と一緒にいた男を見てから郁お前の様子がおかしかった」
夕凪はじっと真っ直ぐ郁を見る。リリィは心配そうに手を胸のあたりで握った。 
「…あの人は俺が刑事の頃の先輩。デッドに襲われたあの日も一緒にいて、あの時俺をかばってデッドに殺されたと思っていたんだ。昨日会うまで…」
「あの人が郁くんが探してた猿間さん?」
郁はうなずく。
「私離れて見てたけど、ライフル銃を片手で発砲できて、なお射撃範囲は正確だった。ただの人間があれほどの技術持っているとは思えなくて、それに…」
リリィは口ごもる。
「それに?」
夕凪と郁はリリィの次の言葉を待つ。
「あの猿間さんって人、血の匂いがしたの。デッドとは違う匂いというか…世檡くんの匂いに近い気がしたんだ…。煙の匂いと混じってよくわかんなかったけど」
「なあ、郁。聞きにくいんだけど、猿間さんがデッドに喰われるところ見たか…?」
「…いや、見てない」
「身体の生命が失った後、吸血鬼の血を摂取した場合真由のようにデッド化する。息がまだある状態で血を身体へ摂取させた場合郁のように混血の吸血鬼が誕生する。でもそれは双方の同意の上で契りが交わされるはずなんだ」
「同意?」
「拒絶反応がないってことだよ。少しでも身体に拒絶反応が起これば同胞は生まれない」
「それじゃあ…猿間さんも俺と同じ可能性があるってこと…?」
「もし息があった場合で世檡と何らかの接触があったら可能性は考えられる。そうなるとあの戦闘能力は納得はいく」
猿間さんも自分と同じ状態の可能性が高いということが分かった郁はふと疑問が浮かんできた。郁が混血となって目覚めたとき今までの記憶ははっきりとしていた。それなのにあの時会った猿間は郁を見たとき知らないと言った。それに何の躊躇いもなく郁を撃ってきた。もしや記憶を失っているのだろうか、と。だから次の夕凪の言葉を聞き逃してしまったのだ。
「…でも、双方が同じ性の場合混血が生まれるなんて聞いたことがない…。ラヴィさんが言い忘れるはずもないしな…」
夕凪もつぶやくように言っていた為、聞き耳を立てていなかった郁には到底聞こえることはなかった。ホールのドアが開き、ユヅルと七瀬が入ってきた。後ろからはラヴィの姿も見える。
「その、僕的には色々考えてはいたんだけど、七瀬さんが言っても聞かなくて。早急に援護が必要になるかもしれない夕凪」
「え…ちょっと待てよ。まさか…」
七瀬が郁の目の前に仁王立ちになり、笑顔で言葉を発した。
「郁くんの実力を私が見てみたいんだよね。手合わせお願いしても良いかな?」
「七瀬さんと手合わせ…?あのここで何をするんですか?」
ラヴィは郁に戦闘武器を渡すと銃を握る手を握った。
「特訓。これからアルカラの戦闘に向けてワンコくんには強くなってもらわないといけないからね。僕も七瀬相手はちょっと厳しい気がするけど」
「え、でも女性相手に、それもこの銃も弾入ってますよね…?」
「大丈夫。本物の銃弾は入れてないから。本気で来ないと痛い目みるよ?私強いからね」
「…わかりました」
郁は少し戸惑いながらも、戦闘準備をする。郁、七瀬以外は邪魔にならないようにホール二階に移動した。夕凪だけはすぐに止めに出れるようにとホール隅に立っていた。
「それじゃあ、はじめようか」
七瀬の声が聞こえると同時に郁の懐から激痛が走る。それが七瀬の攻撃だとすぐに理解した。
「ほら、気を抜かないで。私をデッドだと思って神経尖らして」
「っ、すいません」
郁は顔を上げると、七瀬の次の攻撃がすでに郁に向かってきていた。郁は攻撃をぎりぎりのところで横に反れ、七瀬と距離をおく。その間に七瀬の持っている武器を確認した。自分の身長ほどある槍を七瀬は片手で振り回していた。
郁は銃を発砲させるが、七瀬によけられる。
「っ」
「どこ向けて撃ってんの?郁くんって狙撃の腕良いって聞いたんだけど…この程度?」
七瀬の攻撃はどんどん来る。郁は避けるのに精いっぱいでスキをつくことができない。そうこうしている内に壁まで追い詰められた。
七瀬の攻撃を腹にうけ、郁は崩れ落ちる。ぱらぱらと壁から抜け落ちた破片たちが床に広がった。
「郁くん。君弱いね」
頭上で七瀬の声が降り注いだ。郁はぐっと拳を握る。
「洞察力と運動神経。私の攻撃を瞬時に判断して対応出来ているのに、反撃して来ようとしない」
七瀬は郁の服を掴むと、片手で郁を壁際に持ち上げられる。
「君の今の弱さは迷いだ」
「え」
郁はどきりとした。視界が揺れ、瞬きもままならない。
「…このままデッドを倒していいのか。それとも例の彼とまた会うことになったら怖いから?」
七瀬は郁の顔をじっと見た。七瀬はどこまで知っているのだろうか。
「君の決意ってそんな簡単に壊れるものだったの?」
「…俺は、」
郁は口籠る。郁の脳裏に西野の言葉が浮かぶ。
「俺は、もう誰かが悲しむのは嫌なんです。苦しんです。だから、」
郁はぐっと銃口を七瀬に向けた。
「自分の出来ることを全力でします」
郁は七瀬の肩を蹴りあげ、態勢を崩した。そのスキに槍に照準を定め、引き金を引く。槍は七瀬の手から離れ、弧を描くように飛ばされた。
「ふっ、やっと本気出してくれたね郁くん。私もそれに答えてもう少し本気出してみるかな…」
七瀬は嬉しそうに笑うと、空気が一瞬乱れる。まるでその場の空気が七瀬の身体に集まってきているように感じる。郁は嫌な予感がし、身構える。
「はい。ストップ」
いつの間にかユヅルが二人の間に入っていた。ユヅルは七瀬に視線を向ける。
「七瀬さん。嬉しいのはわかりますけど味方相手にその殺気なんですか?七瀬さんは一応上司ですよね?部下の見本ですよね?」
ユヅルの表情は分からないが、なんとなく怒っているのは分かる。
「んー、んうー…。ごめんね。郁くん私ちょっと楽しくなっちゃってー…」
てへっと笑うと、申訳なさそうに頭を掻く。七瀬を見るとちょこんと額に菊のような模様がうつし出されている。
「その模様なんですか…?」
さっきまでこんな模様はなかった為、郁は気になり七瀬に尋ねた。
「ああ、これ?さて、私はなんでしょうか?」
今まで、吸血鬼、人狼、魔女。ラヴィの正体は分からないが多分何かの種族に違いないと思う。ここで普通の人間ですだったら逆にこわい。
「ヒントは私の姿を見ればすぐわかるよー!」
「姿ですか…?」
郁は腕組みをしながら、まじまじと七瀬を見る。すらっと伸びる身長。薄いピンク色の唇。くりっとした女性らしい目元。手足も長く、スタイルはそこそこ良い。胸はまぁ、夕凪といい勝負だとは思う。
「ちなみに、胸はBカップです。ユヅ坊に聞くと形も詳しく知って…ごふっ!」
「変なこと吹き込まないでください。興味ありません」
「そうだよね。ユヅルくん女の子に興味ないもんね~」
「…リリィもちゃっかり参戦しないでくれる?」
ユヅルは二階でくすくす笑うリリィをにらむ。
七瀬は髪の毛を手ですくい上げて、やっと頭の中に答えが浮かんだ。
「…角?」 
「だいたい正解。わたしは鬼なの」
七瀬の側頭部にはちょこんと角が生えていた。鬼と云えば昔から日本の昔話とかに出てきたので、馴染みがあった。 
「普段は妖気を抑えてるんだけど、極限まで妖気を増やすと額に模様が浮き出てくるってわけ」 
七瀬の極限まで妖気を引き出した姿ってどうなふうなのだろうかと郁は興味深かったが、この空気で言い出すのも気まずいのでやめた。
「夕凪よかったね。君が一番ワンコくんのこと心配してただろうから」
下の階へ下りてきたラヴィは夕凪の肩に手を置く。
「別にそんなに心配してなかったので。ただ、私は落ち込んだままのあいつとこれからも一緒に戦っていくのが不安だっただけですから」
夕凪はそう言いながらも、静かに胸を撫で下ろしていた。
「そう?僕には素直になってもいいのに」
「…」

「さて、食堂行かない?七瀬さんお腹すいちゃったよユヅ坊」
「そうですか。僕はここ片付けてから行くので、どうぞ?」
「ユヅ坊会わない内に態度が冷たくなったよね。昔は金魚のフンみたいにくっついてたのにー」
「誰が金魚のフンですか。むしろくっついてくるのは七瀬さんの方でしょう…」
七瀬とユヅルのやりとりを見ていた郁はふと思ったことを口にした。
「あの、七瀬さんとユヅルさんって仲よろしいんですね。なんか距離が近いというか」
「まぁ、師弟関係みたいな?ねぇ、ユヅ坊」
「はいはい。そうですね。ほら、早くいかないと食堂閉まりますよ」
「え、今何時?うわっ今日のスペシャル定食売り切れるかも。それじゃあ、また手合わせしようね郁くん」
そう言い、七瀬はリリィと一緒にホールを後にした。
ホールに残された郁はユヅルに話かける。
「七瀬さんって昔からあんな感じなんですか?」
「まぁ、出会った当時からあんな感じ。本当元気な人だよあの人は」
「そうなんですか。あの、これからもよろしくお願いします。ユヅルさんとはまだ戦闘とかご一緒したことないですけど」
「僕元々待機組だからね。でもまぁ、郁くんとなら一緒に戦っても良いかもね…」
ユヅルの手が郁に重なる。郁は一歩後ずさろうとしたが、ユヅルの片手がいつの間にか郁の腰に添えられていた為阻止される。
「…ユヅルさん?」
こんな至近距離初対面の時以来だなと郁は思いながら、握られていない手をユヅルの胸に置き、押し返そうとする。しかしユヅルはびくともしない。同性なのになぜこんなに力の差があるのかと感じてる間にも鼻と鼻がつくくらいの距離まで近づく。
女の子に興味がないとリリィは言っていたが、まさかそっち系なんじゃないかと唐突に郁は思い、混乱する。
「えと、あの、俺そっちの気はなくて…だからその、」
「郁くんの瞳の色綺麗だな。肌も白いし、」
「そ、ですか?」
「きめ細やかで、唇もピンク色で」
「あの、ユヅルさん」
やばい。これはガチだ。郁はめまいがした。
「今度のドールのコンセプトは男の子にしよう」
「…はい?」
ぱっとユヅルは郁から離れると、すっきりした顔をした。
「じつは、行き詰ってたんだ新しいドール作るのに。昨日黒髪ドール完成後新しいドールを徹夜で考えてたから」
「…よかった。俺、ユヅルさんは女性に興味ないと聞いていたのでそっち系の人だと思ってて。すいません」
「もしかしてリリィが言ってたんだ…。正直言うと人に興味が湧かないだけなんだよ僕。別に郁くんが謝ることじゃないから」
「ありがとうございます…」
「やっぱり吸血鬼になると目の色変化するんだね」
「え、変わってるんですか?」
「いや、今は黒目だけど、さっきは赤色だったよ」
全く気にしていなかったが、やはり前とは違うのだなと郁は思った。そういえば夕凪も戦闘中瞳が赤色だった気がする。
掃除を終え、郁達もそれぞれ自室に戻る。郁は部屋のシャワーを浴びながら汗を流す。
七瀬と戦い。改めて自分の実力のなさがわかった気がした。迷いが完全に消えたわけではないが、もう一度猿間に会った時にはきっと戦闘になるだろう。
「…考えてても駄目だ。直接猿間さんに聞くしかない」
もしも記憶を失っていても、もしかしたら何かの反動で思い出してくれるかもしれない。そしたらまた一緒に…
シャワーの水量を弱め、シャワー室から出ると眠気に一気に襲われ、郁はそのままベットに崩れるように身体を沈めた。
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