この日々がずっと続くのか。と何度思っただろう。
このまま、楽になりたいと何度考えただろう。
涙なんて遠の昔に枯れてしまった。
体中の傷と心のキズは同じ場所を抉るように深くなっていく。
ああ、どうして自分なのだろう。どこで間違えたの?どうすればこんな風にならなかったの?
答えなんて、きっとかえっては来ないだろう。
「君は同じだ」
そう空から声がした。
真っ暗な世界から差し出された手を握り、立ち上がった。

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「今回は簡単に事が運ぶとは思ってない」
夕凪は刀の手入れをしながら、つぶやいた。
「今回のデッドはイレギュラーだからな。前にも話したが本来デッドは無条件で人を襲う人食いの化物だ。デッドとその人間が常に一緒にいた場合ヘタにこっちの正体をバラせば危険にさらす可能性が極めて高いからな」
「デッドが一人になる時がわからないと難しいってことだよね~、一人になったとしても大学内。周りに人がいる時点でこっちからは動けないよね」
リリィは髪の毛を指でいじりながら、ため息をつく。
郁はふと、頭の中に浮かんだ考えを言葉に出した。
「学生のふりをして大学内に潜り混めば、そのデッドの行動を把握できるんじゃないかな?上層部の人達だと違和感があって怪しまれそうだけど、夕凪ちゃんならすぐには怪しまれなさそうだし。あの大学の広さなら初めて会ったとしても警戒は少ない。そのデッドにも近づけるかもしれない」
「…考えはいいが、一つ問題がある。私じゃ無理だ。デッドと接触できたとしてもすぐ吸血鬼だとバレる」
「なんで…」
「気を纏っているからだよ。近づけば本能的に感じ取られてしまう。だけど郁の場合半分吸血鬼だから周りの人間と気が混じってわかりにくくなる」
「…ということは、」
嫌な予感がし、郁は唾を飲む。
リリィはにこっと郁の方へ親指を立てると、
「郁くん。大学生デビューおめでとう!服とか大学手続きは任せて」
と言った。


遠くの方でピアノのメロディーと歌声が聞こえる。広い講堂に足を踏み入れ郁は目的の人物を探していた。
授業開始のチャイムはまだ10分前であり、早めに席についた学生達はおしゃべりを楽しんでいた。
「…すいません。隣座ってもいいですか?」
郁は席を指さしながら声をかける。
「あ、どうぞ。すいません荷物隣の席に置いていたもので…今片付けますね」
彼女が荷物を自分の足元へ置いたのを確認すると、郁は席に座った。
「いつもは後ろの席に座ってるんですが、最近目が悪くなってしまって…お友達とか来る予定でしたか?」
「いえ、大丈夫ですよ。この位置だと黒板がよく見えますもんね。私もいつもこの席に座ってるんです。あ、ごめんなさい。私経済学部3年の西野花菜です。あなたは?」
「2年の狗塚 郁です」
「人多いから1年離れてると全く誰かわからないものね」
彼女は照れ笑いすると、同時にチャイムが鳴り教授が入ってきた。
ラヴィさんから聞いた情報では、彼女西野花菜は親しい友人が少ない。いつも行動を共にしている友人はこの講義はとっていない為、彼女に接触できる可能性が高い。
彼女、西野花菜はデッドのターゲットとされている人間である。彼女と親しい間柄になればデッドに近付くことができ、またいざとなった時彼女をデッドから引き離すことができる。とラヴィは郁達に伝えていた。
郁は横目で西野を見た。西野はデッドの正体を知っているにも関わらず騒ぎ立てずデッドと行動を共にしている。デッドに脅されているのか理由は今のところ分からないが、今の彼女にそんな雰囲気は感じない。
夕凪とリリィはなるべく郁の近くにいるとは言っていたが、姿は見えない。
終了のチャイムが鳴り、郁は机に出していたものを鞄にしまう。隣の西野も教材を整えていた。
「西野先輩。この後お昼一緒に食べませんか?さっきの授業で分からない部分があってよかったら教えていただきたいのですが」
「ええ、いいわよ。一人一緒にいる子もいるのだけど」
「あ、迷惑だったら大丈夫です。今度の授業前にでも教えていただければ…」
「ううん、迷惑だなんて。彼あまり気にしない人だから、一緒に食べましょう。食堂に移動することになるけど大丈夫?」
「はい。ありがとうございます」
郁は西野と食堂へ向かい、それぞれ食券を買う。
「おばちゃん。とろろとネギ山盛り追加でお願いします」
券を渡されたおばちゃんは「はいよ。」と言い、とろろとネギが山盛りになったうどんを西野に渡した。
郁もカレーライスが乗ったお盆を持ち、席に座った。
「西野先輩って、細いのに以外に食べるんですね…」
「ふふ、心葉にも同じこと言われたわ。自分じゃまだ物足りない量なのだけど…あ、心葉」
西野は顔をあげ、ほほ笑んだ。郁もそちらを見ると心葉と呼ばれた青年が立っていた。
「心葉、彼は2年生の狗塚くん。天野教授の講義で一緒だったの」
「…そうなんだ」
彼はそう言うと西野の隣の席に座る。
「…天野の講義受けるなんて、狗塚くんは頭良いんだね。俺だったらすぐ寝そうだわ」
「心葉は集中力足りないのよ。すごく面白いんだから天野教授の講義」
「花菜。ほっぺにネギついてる」
「ん?あ、本当だ」
西野はネギをつまむと口に含んだ。
「心葉先輩は昼食べないんですね」
「そうなの。心葉ったら普段から小食なの。狗塚くんも食べるよう言ってあげてー」
「さっき、講義休みだったからパン食べたって。狗塚くん手、止まってるよ」
「あ、すいません。お二人とも仲良いんですね。…もしかしてお付き合いしているとか」
「ええ、自慢の彼氏よ」
「恥ずかしいことをすぐ言葉に出すな阿保」
「未だに恥ずかしがってるのは心葉だけよ。そんなウブなところが好きなのだけど」
「先輩方ノロケないでくださいよ。こっちが恥ずかしくなりますよ」
他愛無い話をしていると、周りの生徒達もそれぞれ動き出し始めた。
「あ、すいません。俺、次の講義入ってるんでした。お先失礼します」
「ごめんね。そういえばわからないところ教えるって言ってたのに結局教えられなかったね」
「大丈夫です。今度の授業前に教えていただければ、先輩方は次の講義は?」
「今日はもうないの。私はこれからバイトなのだけど」
「狗塚くん。次の講義どこ行くの?」
「確か、225教室です」
「じゃあ、近くまで一緒だね」
「そうなんですか」
「それじゃあ、二人とも頑張ってね。」
西野は手を振り、食堂の出口へと小走りに駆けていった。
それを見送り、郁は心葉の方へ顔を向け、
「じゃあ、心葉先輩行きましょうか…」
「何しに来たわけ」
心葉は郁の腕を強く握り、睨む。
「他の人間の匂いで誤魔化せるとでも思った?流石にこの距離だったらわかったよ」
心葉はほほ笑んでいるが目は笑っていない。腕を掴む力がどんどん強くなっていく。
「…っ離してくれませんか?」
「…お前もあいつらの仲間?もう付きまとわないでよ…ちゃんとやってるだろう…!」
「あいつらって誰ですか?貴方に会ったのは今日が初めてですが」
「花菜に近付くな。花菜は関係ない」
そう言うと心葉は手を離すと、出口に向かっていってしまった。握られていた腕を見ると手の跡がついており、少し傷んだ。

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「すぐに勘繰られるとはね…」
夕凪はコーヒーカップに口をつけた。
「それにあいつらの仲間ってさ、あの心葉くんって子上層部の人達に気づいてたのかな?」
「さあな。上層部からの情報は一切なし。見張っているとはいっても接触は指示がなければしないからな奴らは」
「でも私今まで上層部の人が戦ってるところ見たことないけどなー。あ、私のハンバーガー来た来た」
リリィは口を大きくあけ、唇の端に赤いケチャップをつけ、ぱくぱくと旨そうに飲み込み、親指くらいの太さのあるフライドポテトをもりもり口に運ぶ。
「それで、西野花菜の様子はどうなんだ?」
「うーん、彼に対する恐怖心は感じられなかったかな…」
ストローでコーラをじゅっとすすり、郁はため息をついた。
郁が心葉と接触した後、夕凪から連絡が入り、このフォーストフード店に来店した。
「もし心葉さんが俺たちの行動に気づいてたとしても、ちゃんとやってるだろうってなんだろう」
「郁の言うようにその言葉は違和感を感じるな…。アルカラの可能性を視野に入れて不審な動きがないか調べる必要があるか」
「…俺はもう少し西野さんと一緒にいてみる。ちょっと気になることがあるんだ…」
「…何かあればすぐ連絡して。まあ、少しでもデッドの気が乱れれば気づくけどね」
「わかった。夕凪ちゃん達も気をつけてね」
「ありがとう郁くん!心配しないで夕凪ちゃんは私が守るから!」
リリィは郁にポテトの油で光る親指を立てる。
「ははは、心強いや」


「西野先輩」
本に目を落としていた西野は顔を上げると郁が立っていた。
「おはよう、郁くん」
「おはようございます。西野先輩は講義がない日はこちらの教会にいると聞いて…」
郁は西野の隣に腰かけ、周りを見回す。
「ふふ、今日は心葉はいないわ。用事があるんですって。それに心葉と一緒だと聞けないことなんでしょう?」
西野は本を閉じると、困ったように微笑む。
「単刀直入に言います西野さん。心葉さんは貴方を喰らおうと思っていると思います。それが今じゃなくても、遠くない未来には」
「…やっぱり郁くんは心葉の正体を知っていて私に近付いたのね」
「西野さん、心葉さんは危険な存在なんです。…俺はもう人が死ぬのは見たくないんです」
「郁くん。貴方は心葉が恐い?」
西野はまっすぐに郁の目を見る。郁は目線を落とし、膝に置いた手を強く握った。
「私ね、今まで何度も死にたいと思ったの。私ね昔からよくいじめられてたの」
花菜は物心つく前に両親が不慮の事故に遭い、親戚もいなかった花菜は孤児として施設で育つこととなった。
花菜が10歳になった頃ある夫婦の元に養子として迎えられた。それが西野花菜の地獄の始まりだった。
花菜が養子として迎えられた西野家は有名は学園の理事長宅だった。父は偉い学園の理事長。母は優しく綺麗で愛想の良い奥さん。それは外での話。
家の中の父は有り金を酒に注ぎこむ男。母は浮気を繰り返し、髪が乱れようとも快楽に溺れる女だった。
そして花菜はその者たちの一人息子の良いおもちゃとなっていた。
息子のストレスのはけ口として花菜は何度も暴力を受け、また食事もあまり与えられないような生活を送っていた。
外の世界での息子は爽やかな笑顔を振りまき、女性に人気がある好青年。花菜をいじめていた女生徒も息子に恋する連中だった。
息子に話しかけられている花菜。息子の近くにいる花菜。息子と一緒に暮らして幸せな花菜。親にも恵まれている花菜。女生徒の勝手な思い込みと嫉妬が外の世界でも花菜を苦しめた。
いつしか花菜が養子であり、施設育ちの孤児だと言う噂が流れ、女生徒達は面白可笑しく花菜にいじめを繰り返していた。家でも暴力を受け、外の世界でも味方は誰もいず、花菜はただ日々の暴力に耐えるしかなかった。
「あーつまんね。花菜最近泣かないし、声も発さないしさ…お兄ちゃん悲しいな」
花菜は虚ろな目をし、ただ窓の外を見ていた。
この日々がずっと続くのか。と何度思っただろう。
このまま、楽になりたいと何度考えただろう。
涙なんて遠の昔に枯れてしまった。
体中の傷と心のキズは同じ場所を抉るように深くなっていく。
「…良いこと思いついた。花菜今日で18歳だよな?身体もいい感じで成長してるしさ。いいよな?」
「…え」
ズボンのベルトを下し、男は花菜のスカートの中の下着に手をかける。
「や、いやだ。やめて…」
「花菜だし、慣らさなくてもいいよな」
「いや、いやぁ!!!」
「うるせぇよ!!大人しくしろ!!」
「うぐっ…!!」
花菜の口の中にネクタイが詰め込まれ、空気が塞がれる。
「別に中出してもいいよな?良いおもちゃ見つけたわ。締まりも良さそうだし。今度俺の友達も呼んでまわそうぜ」
ああ、どうして自分なのだろう。どこで間違えたの?どうすればこんな風にならなかったの?
…答えなんて、きっとかえっては来ないだろう。
「うるさい」
目を開けると雨のように降り注ぐ血しぶき。さっきまで花菜を押し倒していた男の首が床に転がる。
「はぁ、まずそうだなこの肉。変な臭いするところあるし…」
「…誰」
花菜は起き上がり、瞬きを繰り返す。
「あ、この子おいしそうだな…。とりあえず服整えなよ下着見えてる」
「あ、はい」
花菜は服を整えながら、来客者を見る。年は花菜と同じくらいだろうか口元を服の裾で拭いている。
次に花菜は横に倒れた首のない死体を見て、ほっと胸をなでおろした。
「あの、あなたは誰ですか?」
「ん。とりあえず君とは見た目は同じだけど、違う人種の生き物だよ」
「…人殺しさんですか?お金だったら父の書斎の金庫ですよ。金庫の鍵は父が持っていると思いますが…」
「鍵ってこれの事?変な形のブレスレットかと思った。別に金銭目的じゃないよ」
「そうですか。じゃあ、好きにして下さい」
花菜は青年の前に歩み寄ると、目をつぶった。
「…兄をどう殺したかはわかりませんが、私は抵抗等はしませんのでどうぞお好きなように殺してください」
「…もの好きだね。そっちから進んで近づいてくるなんて…」
「私を殺した後、この家を跡形もなく燃やしてくれませんか?西野花菜は元々いなかった存在だと」
「…君は同じだね」
「え」
「本当は幸せになりたいんでしょう?それに俺はそんな諦めた顔してる人喰べる趣味ないから」
「え、あの」
青年は花菜の手を取ると、口の中に含み噛んだ。
「っ」
「今、西野花菜は死にました。今から君は俺の所有物になりました。だから勝手に死のうとしたら本気で喰べるから」
「喰べる…?」
「俺、人殺しじゃないよ。人を喰べる化物(デッド)なんだ。どうする?付いてくる?」
差し出された手を取り、花菜はほほ笑んだ。

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・
「あの後、心葉が私の家族を喰べたのかは分からないけど、兄の部屋に来る前に満足そうな顔をしていたから、誰かしらのことは喰べていたのかな」
「…恐くないといったら嘘になります。俺は大切な人を目の前で殺されたんです。デッドに」
「そうだったんだ…。ごめんなさい私、郁くんの気持ちわかってあげられなくて」
「…西野さん。貴方だったらきっとこの先違う幸せだって…!」
郁は眉を下げながら、押し殺すように最後の言葉を口にする。
「心葉が私を救ってくれたの。心葉がいない幸せなんて考えられないの。だから、郁くん。私達を見逃して…?」
「っ…!」
「私、心葉と幸せになりたいの。可能かは分からないけど心葉と普通の温かい家庭を作ったり…」
郁には西野の声が耳に届かず、ただただ頭の中が混乱していた。目の前の少女はデッドと幸せになりたいと笑顔で言っているのだ。あの人食いの化物と一緒になりたいと。
「ねぇ、郁くん。郁くんの幸せがいつか見つかるといいね」
「西野さん。俺は貴方のようになれません…」

「花菜!!」
教会の扉が開けられ、息を切らした心葉が入ってきた。心葉は郁をにらみ、近づいてくる。
「…お前、花菜に近付くなっていったよな」
「心葉。私は大丈夫だから」
西野は心葉と郁の間に割り込み、心葉に微笑む。
「っ、お前、あいつらの仲間だろ?俺の役目はクリアしたはずだ。だからこれ以上俺たちには…」
「俺の役目はクリアした…?」
「指定の場所に条件に見合った女性は連れていった。もうこれ以上は…」
「心葉さん。何を言ってるんですか?それにあいつらって…!」
「ちょっと、なに部外者にばらそうとしてるのかな?本当感情を持ったデッドは扱いにくいんだから…」
声のした方に一斉に目を向けると祭壇の上に赤髪の少年が座っていた。
「まあ、いいか。それにしても懐かしい匂いがすると思ったらやっぱりね」
少年は教会の入口に目を向けると扉の陰から夕凪とリリィが姿を現した。
「…白釋」
「夕凪ちゃん?リリィも…」
郁は夕凪とリリィの登場に驚き、瞬きを繰り返した。
夕凪は鞘から刀を抜き、郁の横を横切り、祭壇に座る少年に刀を振りかぶった。
心葉も西野の肩を抱き、その場を離れようとした時ぱんっと銃声の音がし、次の瞬間西野の腹から大量の血が噴き出した。
「花菜!!」
崩れ落ちそうになった西野を心葉は支える。
リリィは急いで駆け寄り、止血を試みる。
「っ、花菜に触るな!」
「そんなこと言ってる場合ですか?とりあえず安全な場所に移動させます」
郁は銃弾が放たれた先を見て、目を見開く。
「…猿間さん?」
それはあの時郁の前でデッドに襲われ、亡くなったと思っていた猿間の姿だった。
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