こんなにも自分が無力だと思う瞬間があるだろうか。 
あのとき、違う選択肢があったのではないか、と。

01.despairingly

「またか」
午後十時ちかく。ビジネス街の一角にパトカーが止まっている。立ち入り禁止の黄色と黒のテープを張りめぐらせ、集まり出した野次馬達を警察官が職務をまっとうしている。
ブルーシートをめくり、ビジネススーツに長身の30代半ばの男とまだ警察バッチが真新しい青年が入ってきた。
「お疲れ様です。佐伯さん」
佐伯と呼ばれた刑事は視線だけを向け、
「おう、北村か。それと…誰だっけ?」
「ちょ、佐伯さんひどいです!!狗塚郁(イヌヅカ カオル)ですよ」
青年は頬を膨らます
「ははは、悪い。ワンコ」
「ワンコじゃないです。狗塚です」
そんな二人のやりとりを聞き流しながら北村は遺体のシートをめくった。
「‟また‟変死体ですか」
「遺体には抵抗した形跡なし。ビルとビルの間の視覚だったので発見が遅くなったそうだ。第一発見者は女子大学生で、飲み会の帰りで嘔吐した時に発見したとか。気持悪さでさらに嘔吐したとか…おっと失礼」
佐伯は近くで事情聴取を受けている女子大学生を見た。長い巻き髪にまだ幼さが残った容姿と女の子らしい服装の彼女はベンチに座り、女性警官に聴取を受けていた。
「遺体のほうは」
北村が佐伯に問う。
「高見澤 隆則。有名ホストクラブのナンバーワンホストらしい。巧みの話術で女から人気が高かったんだと。仕事場で聞いたところ昨日の夜から行方が分からなかったそうだ。そんな男が死体で見つかるとはね」
「もし死亡時刻が昨日だとしても、腐敗が早くないですか」
狗塚は遺体に近付いたが、一番腐敗が進んだ箇所を見てしまい嗚咽しそうになる。
「郁。吐くなら遠くいけ」
「大丈夫です…こんなのへっちゃらで…う、げぇぇぇ…」
「ワンコが吐いたぞー」
佐伯は狗塚の背中をさすりながら、にやにやしながら北村を見る。
「いやー、新人の指導係は大変ですな。北村」
北村は深いため息をついた。

~ 警察庁内 ~

捜査会議が終わり刑事達が会議室からぞろぞろ出ていく。
他の刑事と同じく会議室を出て、廊下を歩く二人
「すいません、猿間さん。スーツ貸して頂きまして…綺麗に洗って返します」
「…ゲロ吐いたスーツと一緒に洗うなよ」
「わ、わかってますよ!ちゃんとクリーニング屋の人に洗ってもらいます。それにしてもほのかに煙草の匂いが…」
狗塚はスーツをくんかくんかと嗅ぐ。北村は先日健康診断で煙草のドクターストップを受けていたと話していたが。
「犬かお前は」
北村は狗塚の頭を軽く叩いた。
「猿間さん、いつ吸ったんですか!俺が便所行ったときですか?俺が寝静まったときですか?」
前を歩いていた佐伯がにやにやしながら顔だけ振り向く。
「なになに、お前ら先輩と後輩の関係から違う関係にでもなったのかな~?」
「佐伯さん。冗談でも言って良いことと悪いことが…」
「まぁ、まぁ。そんな怒るなよ北村。整った顔が台無しだぞ」

北村 猿間(キタムラ エンマ)は刑事課一係刑事で、冷静かつ沈着で上からも一目置かれている。
容姿端麗で背も高く女性人気が高い。一応狗塚郁の先輩であり、指導係でもある。
刑事課一係といっても班があり、北村・狗塚は佐伯班に所属している。
「そうだ。お前ら二人にご指名だ」
佐伯は歩みを止め、二人に告げる。
「女子大学生の警護」
「鹿山 真由(カヤマ マユ)ですか。どうしてですか」
北村は佐伯に問う。
「それが、次の被害者が彼女の可能性があるんだよ」
「可能性があるって?」
狗塚は首を傾げるのを横目にみながら、佐伯は言葉をつづけた。
「第一の事件覚えてるか」
「確か大手製薬会社の研究者でしたか。四肢が変な方向に曲がってた変死体で発見されたとか。第一発見者はキャバ嬢で…第二の事件の被害者でしたね」
北村は気づいたように佐伯のほうをみる。
「これはまだお前らに伝えてなかったんだが、今回遺体で見つかった高見澤は第二の被害者の恋人で、彼女のアパートで風呂場の中で彼女の亡骸を発見したそうだ」
「風呂場で見つかったのは首以外で。首の方はまだ見つかってないんですよね。資料に書いてありました」
狗塚はケロッとしながら遺体の発見された様も言った。
「…ワンコお前遺体見たときは嘔吐するくせに、遺体の状態は簡単に言えるんだな。おっさん関心しちゃった」
「佐伯さん有難うございます!!あと俺、狗塚です」
北村は静かに口を開く
「…今回の高見澤は、第一第二の事件とは何だか違いましたね。仰向けの状態に両手を胸の位置にクロスしていて…」
「そうですよね。クロスしてた手だけが他の部位と違って綺麗なままでしたし。顔なんて骨が見えて…う、なんか思い出したら吐き気が…すいませんトイレ行ってきます」
狗塚は小走りで男子トイレに駆け込む。
「それで、彼女が次に狙われると…」
「可能性な。今の段階じゃ異常な犯人の目星も付いてない。今は可能性でも被害者になりそうな彼女を守るしかないんだよ。だから一番信用できるお前に頼んでんだ北村」
佐伯は北村の肩に手を置き、小さく笑った。

最近ひらかれた飲食街もさすがに店を閉じ、あたりはひっそり静まりかえっていた。
街灯も少ないこの道は殺人犯にとっては絶好ポジションなのかもしれない、それも女なら尚更だと狗塚はふと思った。
「鹿山さん、いつも帰り道はこの道を使っているんですか」
「はい、私地元から離れてこの街に来たので、当時お金がなくて安くて自炊できるアパートが今住んでるところしかなかったんです」
「お引っ越しはされないんですか?」
「住み慣れてしまって引っ越しもあまり考えていないので…」
会話がそこで途切れてしまい、再び辺りは静まりかえった。
北村は署を出てから一言もしゃべらず一歩後ろを歩いている。
佐伯は彼女が狙われるのは可能性だと言っていたとはいえ、こんなにも立て続けに殺人が起こっていれば彼女が狙われる確率は高い。いつ、どこで、彼女と殺人鬼が出くわすかわからない状態の中沈黙が続く。
「鹿山さん、君にひとつ質問がある」
北村が立ち止り、彼女と狗塚は歩みを止める。
「はい。なんでしょう」
「あのとき、君は飲み会の帰りだと言っていたね」
「ええ。飲み会の帰りで自宅に帰るためあの道を通ったんです」
「女性が一人あの夜道をね。しかもあんなビルとビルの視覚になった遺体を発見するなんて偶然にしてはおかしくないか?」
「猿間さん。彼女がビルの間に入ったのは偶然じゃ、」
「じゃあ、なんで倒れてるのが死体だってわかった?昼間でも薄暗い場所なら夜になればなおさらだ。それに死体が発見された場所と君が今帰ろうとしているアパートは逆方向だ」

ソレは静かに音も立てず起こった。左脇腹にじわっと広がっていく痛み。
「あーあ、こんな簡単なミスするなんて美味しい匂いに惑わされたのかな。まぁ、いっかそろそろ私もおなかすいちゃった」
痛みの場所へ視線を落とすと脇腹に刃物のように突き刺さる彼女の手。
「郁。左に反れろ」
北村の声と銃声。
狗塚は左に反れると同時に脇腹に刺さる手も離れる。狗塚は痛みで声にならぬまま崩れ落ちる。
銃声は彼女の血まみれの手をかすめるだけだった。
「いきなり発砲って、今時の警察は怖いな~、ちょっとじっとしててよ。順番に食べてあげるからさ」
彼女は地面を蹴り、北村の腹に一撃をくらわせる。北村は受け身が取れぬままコンクリート壁に飛ばされる。
「あ、そうそう。ここ大きい音だしても誰も来ないよ。人がいない場所選んだんだから」
彼女はケタケタと笑う。
「げほっ、お前、人間じゃないのか」
「人間…なのかな。自分でも判んないや」
「ここ最近の事件はお前の仕業か?」
「事件?ああ、あのホストと研究員を殺したのは私よ。でもあの女殺したのはあのホストでしょう?」
脇腹から血がどんどん流れ、意識が遠のきそうになりながら彼女を見つめる。
「私、1年前にある研究室で目覚めたの。自分が誰なのかここがどこなのかわからなかったわ…。唯一分かったことは普通の食べ物じゃ満足できないこと」
彼女の話はこうだ。何日間か研究室の中で人体を弄り回されたこと。その後監視されながら用意された住処と研究室を往復する生活をしていたこと。そして衝動が抑えきれず研究員を殺したところを第二の被害者に目撃されたということだ。幸い顔は見られてはいなかったそうだが人を殺した感覚と人に見られたという事実に耐えられず、第二の被害者の身元と場所、交友関係まで調べ、毎日ストーカーじみたことをしていたとのこと。そして第二の事件が起こった。事の発端はカップル同士痴話喧嘩がエスカレートし男が女の首を絞め殺害したらしい。
「それで、彼女の首は。現場には、なかったはずだ」
「食べちゃった。風呂場で溺死体のように見せかけようとしたから、男の目を盗んで彼女の首だけ食べたの。だって溺死体なのに首に絞めたあとが残ってたらだめでしょう?」
狗塚は意識が少しだけはっきりしてきたのか左胸ポケットにある拳銃を探す。
「人を食べると記憶まで自分の中に入ってくるみたい。だから高見澤 隆則を殺したのはあの女の復讐ってやつ?顔を重点的に潰したりしたんだけど…食べる気にはならなかったわ。さて、お話はこれでおしまい。もうイケメンの刑事さんのこと食べていいよね? 」
彼女は北村の顎を手でくいっと上げる。
「それは、無理、だな。うちの新人はまだ刑事と、しては頼りないが、銃の腕だけはピカイチなんだよ」
狗塚の撃った弾が彼女の頭を貫き、彼女の体が傾く。
「刑事としては 頼りない…って、これでも猿間さんに背中預けてもらえるように頑張ってるんですけ、ど」
狗塚は北村に倒れこむ
「血流しすぎだろ。歩けるか?」
「はい、猿間さんも大丈夫ですか」
「肋骨2.3本は折れてるかもな…っ郁!」


「え」
目を開けると北村が狗塚の上に覆いかぶさっていた。北村の肺と腹、右腕左腕には血で紅く染められた指が突き刺さっていた。
ぽたっと狗塚の頬に1粒血が落ちる。
「せっかくの食事を逃がすわけないじゃない。ねぇ、早く絶望して?」
指が北村の体から貫(ぬ)かれる。
「、郁。お前だけでも、に、げろ」
「いやだ、いやです。猿間さん。おれ、」
「あなた、さっきからうるさいよ」
彼女の腕が伸び、銅器のように重たい衝撃が狗塚の頭を駆け巡り、狗塚は意識を失った。

ずるずるずる…、
狗塚はまだ意識がはっきりしておらず、わかったのは自分が彼女に引きずられているということだった。
彼女は歩みを止め、つかんでいた狗塚の襟を離す。
「さぁ、どこから食べよう…」
「…ターゲット見つけた」
次の瞬間彼女の首が空高く飛ばされ、空中で血しぶきをあげ破片と化した。
「夕凪ちゃん。なんとか間にあったよ」
メイド服に日本刀のミスマッチな彼女は刀を鞘に収め、夕凪と呼ばれた少女へ渡した。
少女は狗塚を抱き起こし、
「…血流しすぎ。瀕死じゃな…ッ!?」
「…頼む。猿間さんを、助けてくれ…」
狗塚は少女の腕をつかみ、最後の力を振り絞り口を開き、そしてゆっくりと意識は遠くへおちて行った。
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