ジー…ミーンミンミンミンミンジー…
むせ返りそうな暑さの中、手で木々をかきわけながら、森の奥へと足をすすめる。
まだ、昼間だというのに森の中はうす暗く、ぬかるんだ土をふむたび足がどんどん重くなっていく。
ふと、ポケットに入れていたポケベルがブー…ブー…と鳴りはじめ足をとめた。
《10105》
画面に友人からの《今どこ?》というメッセージが表示されていた。謝罪のメッセージを送り返し、ポケベルをしまいまた歩きだした。

確か、この下り坂を下れば神社の石段が眼の前にあらわれるはずなのだが…
「ん?」
頬にポツンと水滴がおち、次の瞬間ザァァー…ザァァー…と激しい雨が降りはじめた。来た道へ引き返そうかと迷ったが、ここまで来たら神社の方が近い。ぬれた服に息苦しさを感じつつ、森の中を全速力で駆け下りる。雨と汗の混じったような滴が額を伝って目に入り込んできて、痛みにぎゅっと目を細めた瞬間「!」右足をひねり、体のバランスをくずし…
ガツンッ! 鈍いいやな音。鼻から口に広がる鉄みたいな味。地面に倒れこみ、視界の向こうの景色がかすんでいく。意識がどんどん遠ざかっていく。体がぴくりとも動かない。ただ冷静に昔、おばあちゃんが言っていた言葉が思い浮かんだ。
「天狗祭の時期には、神社の森には近づいてはいけないよ。戻って来れなくなる」
死ぬときに、こんなことおもいだすなんて…こんなことならあの子にちゃんとあやまれば よかった…
降りしきる雨の中、次第に五感を刺激する感覚さえも、意識の中から遠ざかっていった。


ミーンミンミンジー…シャワシャワシャワジー…
むせ返りそうな暑さの中、僕は学校からの帰り道を歩いていた。
「暑い」
陽射しがまるで僕の頭上だけを照らしているかのように思えた。風はほとんどなくとにかく暑苦しい。数分前に体を冷やしてきたにもかかわらず、全身から汗がどんどん溢れ出す。
「あー…もう暑い。限界。歩くのも疲れた」
さらに坂を下ってしばらく行くと天狗神社までの石段が見えてきた。一段ずつしっかりと足を進める。石段のまわりは丁度木陰になっていて木々のすきまから涼しい風が心地良い。左側は大きなクヌギの木がある。夏休みに入るとよくここでカブトムシやらクワガタを捕っている親子や低学年の子供たちがいる。最後の一段をふみしめると目の前に少しばかり歴史を感じる神社が広がっていた。僕は毎日ここへ来ている。
「今日も、よく来たのぅ」
声のした方へと目を向けると、ハトにえさをあげているじぃじがニコニコしながら僕を見ていた。
「うん。今日はプール開きだったから学校に行ってきたんだ」
「そうか そうかぁ。ここまで歩いて来てさぞかし暑かっただろう。麦茶を用意するから先に縁側に行っていなさい」
「わかった」
じぃじは天狗神社の神主だ。綺麗なツルツルピカピカな頭と、真っ白な長いアゴヒゲ。少しばかりゆっくりと話す口調はどこか品のいい感じがする。
縁側に行くと気持ちよさそうに日向ぼっこしている猫がいる。こいつの名前はじゃのめ。左目の色だけがきれいな赤色の黒猫だ。じぃじと一緒に暮らしている。牛乳が好き。僕が知っているじゃのめの情報はここまでだ。あとは不明。
あ、そういえば首輪をつけるのも嫌いだったっけ…。じゃのめも僕に気づき、眠たそうな目を僕に向け、にゃーと鳴いてどこかへいってしまった。入れかわるように麦茶をお盆にのせたじぃじが僕の所に来て腰をおろした。麦茶を手に取り、一気に飲み干す。自分で思っていたよりものどが渇いていたのだろう。じぃじと僕は夕方近くになるまで他愛無い話をした。
「そろそろ僕、家に帰るよ。椿くんが夕飯用意して待ってるかもしれないし。明日はじゃのめの好きな牛乳持ってくるよ」
「毎日すまんのぅ。気をつけて帰るんだぞ」
じぃじに手をふり、石段をテンポよく下る。ふと、大きなクヌギの木を見るとじゃのめが今度は日陰で涼んでいた。近づくと今度はチラッと僕を見て、おとなしくさわらせてくれた。のどを撫でるとゴロゴロと鳴きながら僕の手にすり寄ってきた。そのとき
「ねぇ、〔ぼく〕何してるの?」
不意に後ろから声が聞こえ、ふり返るとそこにはセーラー服に身を包んだ少女立っていた。少しだけやけた肌に肩までかかるくらいに髪。
そしてとても笑顔が可愛らしい少女だった。


「お姉さんはここで何してるの?」
返答に困った結果、逆に質問をしてみた。質問を返されるとは思っていなかったのか少しばかりびっくりした顔になり、次には「うーん」と言いながら考えはじめた。その間に僕は冷静に彼女を見る。身長はたぶん150㎝以上。彼女の着ている制服には覚えがあった確か小学校と道を挟んだ所にある中学校の制服だった気がする。
「お姉さんも、じゃのめをさわりに来たの?」
「じゃのめ…?あ、ああ!うん!そうなんだよね~」
そう言いながら、僕の隣に腰をおろす。
「[僕]は猫ちゃん好きなの?」
「うん。動物の中では猫が好きだよ。特にじゃのめは警戒心があんまりないからさわりやすいんだ… お姉さんも猫が好きなの?」
「そうだね。好きかな…」
彼女は少しだけ困った顔をしながら言った。遠くのほうで【夕焼けこやけ】のメロディーが流れ始め、今まで僕におとなしく撫でられていたじゃのめはにゃあと鳴くと、神社のほうへ帰っていってしまった。僕もそろそろ帰らないと…隣を見ると彼女はすでに立ち上がって背伸びまでしていた。僕も立ち上がり衣服についている砂を手で払った。
「[僕]は毎日ここに来るの?」
「なんで?」
「いや、私もよくここに来るけど君には初めて会ったから」
「じぃじに会ったら、そのまま家に帰るから今日はたまたまこっちの方に来たけど…」
「そっか~」と彼女は言いながら、僕らは一緒に石段を下りた。
「私の家、こっち側なの。[僕]とはここでお別れだね。気をつけて帰るんだよ」
「ありがとう。…ねぇ、明日も天狗神社に来る?」
「え、うん。行くよ。[僕]は?」
「行く。絶対行く。また明日会おうねお姉さん」
「うん …なんか[お姉さん]って照れくさいね、…『佐和子』でいいよ」
「わかった。さっちゃんって呼ぶね。僕は、「まぁーくーん!!」
遠くの方で僕の名前を呼ぶ声がした。椿くんだ。
「それじゃ、また明日ね。まーくん」
さっちゃんは僕に手を振り、歩いて行ってしまった。僕も椿くんの方へ小走りで向かう。椿くんは買い物袋を持って僕が来るまで待っていてくれた。
「椿くん今日の夕飯の買い出しの帰り?」
「遠くのほうでまーくんを見かけたから呼んでしまったよ。一緒にいた子は友だちかい?」
「さっちゃんっていうんだ。今日友達になった」
「そっか、よかったな」
椿くんは自分のことのようにうれしそうに笑っていた。椿くんは僕の父さんだ。普段はもの静かで優しいが、いざとなったら頼りになる男だ。まだ30代前半なので村のおば様方にはすごく人気が高い。まぁ、元々実年齢よりは若く見える顔立ちではある。 僕は椿くんと二人だけで暮らしている。母さんは僕がまだ幼い時に亡くなってしまった。ひかれそうな猫を助けてそのまま車に追突されたらしい。でも、僕が今日まで寂しい思いをあまりしなかったのは椿くんがいてくれたからなのだと思っている。
「あ、まーくん上見てごらん」
椿くんが指さすほうを見た、そこには一番星があった。僕は一番星を見ながら明日は彼女とどんな話をしようかと考えていた。


降り注ぐ真夏の太陽。目を開けていられない位まぶしい。プールサイドに腰かけ、強い日差しにキラキラと反射している緩やかな流れに足を踏み入れた。川や海のようにひんやりとした心地よい冷たさではなく少しだけ体温に近い冷たさだった。でも、僕も周りの子達も今はこの冷たさが心地いい。目を閉じ、ふわっとした柔らかい風を感じる。すると近くでバシャバシャという激しい水音と女子生徒たちの黄色い声が聞こえ、目を開けそちらを見る。誰かがクロール泳ぎで勝負をしているようだ。左側のほうが一歩リードしている。
「なぁ、お前今日はどっちが勝つと思う?」
クラスメイトの友人がニヤニヤしながら僕に話しかけてきた。もうどちらが勝つかわかっているようだった。
「っていうか。誰が勝負してるの?暑いのによくそんな元気出るよね」
「お前わかってるくせに~!また関が樹にケンカふかっけたんだよ。樹に一度も勝ったことないのによくやるよねー」
「樹か。だから女子がいつもより暑苦しいんだね」
「ははっ、それを言ったら、オワリだよ!」
何がおかしいのか友人は肩を震わせながら笑っている。すると誰かの「勝負アリ!」という声が聞こえ、バシャッと水の中からプールサイドに出る音と女子たちのさらに高くなった声が聞こえてきた。
「みんな応援ありがとね。もうちょっと遅かったら、関に負けてたかもしれない」
「そんなことないよ~!樹くんの方が速かったよ!」
「ありがとね。みなこちゃん」
「え、樹くん。私の名前覚えていてくれたの?」
あ、また始まったよ。樹のナンパ。
「俺が女の子の名前忘れるわけないよ。特にみなこちゃんみたいなかわいい子は絶対忘れないよ」
キャーとまた一段と女子たちの歓声が高くなる。あー、聞いてるだけで暑苦しい。
「てめぇ、樹!勝ったからって調子乗ってんじゃねぇよ!」
樹よりも少しだけ遅くゴール地点に到着した関が樹たちに水の塊をかける。簡単に言えば逆ギレだ。
「ちょっと関!冷たいじゃない!本当あんたって頭の中も筋肉なの?」
「樹くんが迷惑してるのわかんないの?大丈夫?樹くん」
「自分でケンカふっかけて、負けたくせに。逆ギレしてんじゃないわよ!」
次々に女子たちは関に暴言を吐いていく。関もさすがに涙目だ。
「ほらほら、みんな俺のためにそこまで関を責めなくてもいいよ。それに俺、暴言吐く女の子はあんまり好きじゃないな」
それを聞いた女子たちは黙る。
「関、今日は楽しかったよ。今度も負けないから」
「…今度は俺が勝つに決まってんだろ」
どうやら仲直りしたらしい、それにしても本当に暑いな…そろそろ帰るかな。
バシャッ!バシャッバシャッ!
「おあっ!」
不意に水の塊が視界を遮った。
「まーくん。今帰ろうとしたでしょ!帰るなら俺もさそってよね」
水をかけた張本人は樹だった。片手には誰かの水鉄砲を持っている。
「…それどうしたの。樹のじゃないよね」
「関に貸してもらった」
仲のよろしいことで。数分前まで仲悪そうだったのに
樹は二年生の夏に東京から引っ越してきた。最初は無口で何を考えているのかわからない男だった。僕とは席が隣同士だったこともあってかすぐに仲良くなり、親友の称号までもらってしまった。
「別に、一緒に帰ってもいいけど。僕神社寄ってくよ」
「天狗神社か。前話してた猫に会いにいくのか?」
「まぁ、ね」
一瞬、さっちゃんの顔がよぎり、首を左右に何度もふった。
「えー、樹くん帰っちゃうの~?」
すると、一人の女子が樹の側にくる。さっきのみなこちゃんだ。
「うん。帰るよ」
「えー、それなら私も一緒に帰ろっかな?いいでしょう?」
「そんなのダメに決まってるでしょう?!」
みなこちゃんの声が聞こえたのか否か、女子たちが僕らの周りに集まる。
「ぬけがけはゆるさないから。樹くんは誰と帰りたい?」
「ちょっと、何それ?あんただって樹くんと二人だけでかえりたいんでしょ?」
「わたしだよね?樹くん」
「あたし?」
「ねぇ、私と帰ってくれるって前、約束したじゃない!」
「おいしいケーキ屋さん一緒に行ってくれるんでしょう?」
「「「ねぇ、樹くん!!!」」」
女子たちは一斉に樹を見る。彼も困った顔をしている。
「え…と、俺はまーくんと帰るから」
「「「はぁ?」」」
次に、一斉に僕を見る。ヒシヒシと伝わる女の嫉妬心。これはたぶんめんどくさいことになる。こんな晴天の下、言い争いなんてごめんだ。それなら樹を置いて行ったほうがいい。
すまない親友よ。ゆるせ。(棒読み
僕は樹をその場に置いていき、早足でその場を離れた。


ジーミーンミンミンジー…
「暑い」
学校から神社まではそんなに遠くはないはずなのだが、ジリジリと照りつける太陽にはやっぱり勝てない。真っ黒な短い影が足元にくっついてくる。流れてくる汗をTシャツの袖で拭きながら歩き続ける。鳥居をくぐり、神社に続く石段を上がっていく途中からクヌギの木がある道に入った。クヌギの木の近くに、さっちゃんの姿が見えた。小走りでさっちゃんのところに行く。さっちゃんはまだ僕に気づいていない様子だ。ずっと上を見ている。少しおどろかそうと思い、彼女の後ろにまわり声をかけた。
「さっちゃん」
なるべく声の音量を大きめにして、呼んでみたのだが、反応がない。
「…さっちゃん?」
心配になり顔をのぞく。彼女はただ無表情で上を向いていた。顔は青白く見え、瞳に光がないようにも見えた。
「ッ」
僕は全身から血の気が引くような感覚におそわれた。彼女の手をとる。氷のように冷たい。
「さっちゃん!!」
僕は自分でもビックリするくらい大きな声を出した。
「…えっ、あ、まーくん?どうしたの?」
彼女は目を丸くして僕を見た。
「どうしたって…!」
言葉の途中で我に返り、冷静になる。
「…さっちゃんこそ、大丈夫?声かけても反応なかったから」
まだ心臓が落ち着かない。
「あ、ごめんごめん。ぼーっとしてた」
「そっか。それならいいけど…。そうだ、さっちゃんに会わせたい人がいたんだ」
「会わせたい人?」
「うん。天狗神社の神主さん」
「わしがどうかしたか?」
僕とさっちゃんは声のしたほうに反射的にふりむいた。そこには、じゃのめを抱きかかえたじぃじがいた。
「立ち話は、おいぼれにはちと、辛いからのぅ。まぁ、神社まで来なさい」
僕とさっちゃんは顔を見合わせ、じぃじのあとを追った。
縁側かと思いきや、渡り廊下へと続く、広間に案内された。用意された麦茶を飲みながら、じぃじが来るのを待つ。そのあいだなぜか僕たちは一言も声を交わさなかった。じぃじが来て、僕は口をやっと開けた。
「じぃじ。彼女は昨日帰りに会ったさっちゃん…」
「知っちょるよ。この子はここに住んでるからのぅ」
「え?」
僕は口をポカーンと開け、まばたきを繰り返す。
「そうなんだ…。ごめんね昨日、なかなか言い出せなくて…」
さっちゃんは困った顔をしながら言った。
「そういえば、そろそろ天狗祭だったよね?」
じぃじはお茶をすすりながら、笑顔でうなずく。
「天狗祭かー。もうそんな時期なんだ」
さっちゃんはそう言いながら遠くを見る。
「なつかしいな。小さい頃はよく行ったな…」
「さっちゃん、あんまりいかなくなったの?」
「うん。なかなか時間がなくてね。でも今年はゆっくり祭とか行ってみたいな」
「それなら一緒に行こうよ」
じぃじはお茶を飲み終わってしまったのか、お茶を注いでいる。
「天狗祭のときは妖怪が出るんだって!まぁ、ウワサなんだけどね」
ガッシャーン
じぃじのほうを見ると、お茶をひっくり返してしまったようだった。湯のみがパカッと割れている。
「だ、大丈夫ですか?!」
さっちゃんはすかさず、じぃじの手の平を見て怪我をしていないか確認したあと、台所に向かい台ふきでこぼれたお茶をふきはじめた。僕はじぃじはそれを茫然と見ていた。
「…天狗祭の日は丑三つ時になる前に家に帰るんだぞ」
「え、なんで…」
じぃじはいつになく真剣な顔をして僕を見る。
「丑三つ時になったら、子どもは外に出てはいけない。妖怪が出てきて子どもを連れ去っていってしまうからね。だから、出ちゃだめじゃよ?」
僕はただうなずくことしか出来なかった。あんなじぃじの目は見たことがなかった。あんな冷たそうな黒い瞳なんて。
神社までの帰り道をさっちゃんと一緒に歩く。結局僕の家の前まで一言もしゃべらなかった。
「…まーくん。さっきの返事だけど、天狗祭のとき一緒に屋台とかまわろっか?」
「…うん!」
「それじゃ、当日の夕方にクヌギの木の下に集合ね」
そう、2人で約束を交わし、手をふって別れた。彼女の後ろ姿を見つめながらなぜか胸が少しだけ苦しくなった。


天狗祭当日。
待ち合わせ場所に行くと、先に着いていたらしい浴衣姿のさっちゃんが僕を見つけ、笑顔で手を振ってくれた。
あの日から今日まで神社へは行かなかった。プールの授業が終わると家まで真っ直ぐ帰った。どうしてもじぃじに会えなかった。神社に向かおうとすると、どうしても足が止まってしまうのだ。
「さっちゃん、浴衣似合ってるね」
「ふふ、ありがとう」
次第に薄暗くなりゆく坂道を、二人並んで歩く。さっちゃんの浴衣は深めのブルーにリンドウの花が描かれた綺麗な柄だった。なんだか綺麗すぎて、横にいるのが少しだけ恥ずかしくなってきた。いつもなら静まり返り、ひっそりと夜に染まるだけの広い砂利道。そこに、今夜だけ赤や橙色に彩られた屋台テントが鮮やかな光の列となって、浮かんでいる。そんな村の一夜限りの晴れ舞台に臨み、ひしめき合うひと、ヒト、人…。人だかりをかき分けながら進む。絶え間なく鳴り響く大太鼓。焼き物の芳しい匂いと共に肌に当たるけむたい暖気。通りすがりに触れ合うにこやかな顔。威勢のいい呼びかけ声。たこ焼き、焼きソバ、リンゴ飴。チョコバナナ。金魚すくいに射的・・・。
僕とさっちゃんはいろいろな屋台をまわった。
「まーくん。あのお面買っていいかな?」
さっちゃんは、一つのお面を指さす。それは狐のお面だった。
「私ね、狐のお面の雰囲気が好きなんだ~。すいませーん、この狐のお面下さぁーい」
「はい。500円です」
この声には聞き覚えがあった。椿くんだ。
「椿くん?!なんでお面売ってるの?」
「はは・・・、お面のおじさんに店番まかされちゃってね・・・まーくんの友達?」
椿くんは佐和子と僕の顔を交互にみる。
「あの、私…」
「あ、そんな固くならないでね?僕はまーくんの父の椿という者です。よろしくお願いしますね」
一瞬、さっちゃんの目を見開き、下を向いた。ずっとさっちゃんを見ていた椿くんは、「ああ」と言いながら、手をポンとたたいた。
「君の顔、誰かに似てるなーって思ったんだけど僕の妻の『サコさん』に似てるんだ」
すごいねー。こんなこともあるんだね。と椿くんはニコニコしながら言っている。僕はなぜか胸騒ぎを感じた。


トン・・・パラパラパラ・・・
山も森も、眼下に佇んでいるはずの民家も。日中はそれぞれがそこにあることで認識できる、高さも遠さも近さも、全てが、その感覚さえも一緒に空と同じ夜色にぬりつぶされる。そんな天地の区別がない、一面見渡す限りの花火。
椿に会った後、さっちゃんは黙ったままボンヤリとしているようだった。
トン・・・パラパラパラ・・・
横目でチラッとさっちゃんを見る。だいぶ暗闇に目が慣れたとはいえ、その表情まで見るのは容易じゃなかった。相変わらずちょっとうつむき加減でボンヤリとしている。その姿はとても花火を見ているような感じではなかった。
「・・・さっちゃん。なんだか元気がなさそうだけど、大丈夫?もしかして人に酔った?」
何か話しかけなくては間がもたないと思い、さっちゃんに声をかける。
「・・・大丈夫、何でもないから」
遠くの花火の音にさえかき消されそうな小さな声。それ以上僕は何も言えなかった。
トン・・・トントン・・・
「ねえ、まーくん」
パラパラパラ・・・
「何・・・?」
タタタン!タン!
「椿さんってこの村で育った人?」
激しく交差し乱れ咲く夏の花。
「なんで、 そんなこと聞くの?」
タン!タタタン!
「私ね、椿さんのこと         !」

トン!パラパラ・・・トン!

さっちゃんの言葉を遮るように鳴り響く花火の音。でも僕は聞こえなかったさっちゃんの言葉の意味がわかってしまった。うるんだ瞳、ほのかに桃色に染まる頬。握りしめた手が小刻みに震えていた。
「・・・どうして」
僕は俯いて、口を開く。
「どうして椿くんのこと、僕に聞くんだよ そんなの・・・椿くんに聞けばいいだろ」
ドッ・・・ヒュルヒュルヒュルヒュル・・・
自分で何を言っているかわからない。ただ感情だけが、溢れてくる。
「・・・さっちゃんなんて、知らない」
・・・ダンッ!ン・・・ン・・・ン・・・
山一つ分をも覆ってしまいそうな大輪の花が、胸を突き抜けるような大音量とともに一気に開く。一直線に伸び空一面に広がった光の花びらが、やがてキラキラと星屑のように輝きながら、音を立てゆっくりと落ちてゆく。僕はそのまま、さっちゃんを残し、家へと走って帰った。さっちゃんの呼び止める声が聞こえても、後ろを振り返らず、ただただ無我夢中で走った。
家に着き、部屋に戻ると明かりもつけずに敷いてあった布団にうずくまった。


夢を見た。
神社の鳥居のそばで泣いている男の子。僕と同じくらいの年に見えるけどこんな子会ったことも見たこともない。男の子の傍にはセーラー服を着ている女の子がいた。彼女は男の子の目線の位置までしゃがんでいた。
かすかに声が聞こえてきた。
「ここにもないみたいだね・・・ごめんね、つばきくん   見つけられなくて」
「ううん。お姉ちゃんが悪いんじゃないもん。僕がちゃんと持ってなかったから・・・」
「・・・神社の裏の森の近くもお姉ちゃん探してみるから、だから泣かないでね、つばきくん」
彼女は男の子の頭を優しくなでていた。僕の位置からは彼女の顔は見えない。
「じゃあ、僕も裏の森一緒にさがす・・・!」
「それはダメ。つばきくんはもう一度、鳥居の近くをさがして」
「・・・うん。わかった。ありがとう、    ちゃん」
意識がどんどん夢から離れていく。
ジィィ・・・ボーンボーン・・・
ヤケに大きく聞こえてくる柱時計の音に重たいまぶたを開いた。布団の上に仰向けになり、天井を見ながらつぶやく。
「・・・二時くらいかな」
変な夢だったな・・・。あの2人は誰だったんだろう。同時にさっちゃんの顔が思い浮かんだ。どうしてあんなこと言っちゃったんだろう、冷静に考えられるようになり、さっちゃんに会って謝りたくなった。僕はそっと音をたてないように玄関まで行く。ドアノブに手をかけようとしたとき、じぃじの忠告が頭によぎり、ドアノブをにぎる力が弱くなる。一瞬とびらを開けようか迷ったが、どうしてもさっちゃんに会わなくてはいけないという強い力が僕の背中を押した気がした。外は月の光が青白く僕の足元を照らした。僕は、神社へと続く道を小走りでかけていった。自分の足音だけがヤケに大きくひびく。
しばらく行くと、十字路にたどりついた。そこを左折してその道をまっすぐ行けば、道路わきに神社への目印である小さなお地蔵さんが立っている。
「あれ?」
曲がると、見たことのない原っぱが広がっていた。遠くの方で、ドンドコ・・・カンカン・・・という音とかすかに笛の音色が聞こえてくる。まだ祭をやっているのだろうか。こんな夜遅くまで、踊りをやっているのはおかしい。それにこの原っぱも見たことがない。しかし、このまま立ち止まっててもしょうがないと思い、そっと音を立てないように近づいた。そこには、人じゃない何かがいた。それは本でしか見たことのない妖怪たちだった。
《この村は昔と変わらんな。唯一変わったのはあのー・・・まぶしい棒みたいな・・・》
〘火車さん。それは“街灯”というものです。あの“街灯”が増えて昔みたいに人間にいたずらできなくなってしまいました。さみしいことです〙
〈俺は子供が食えなくなったのが残念だな~子供の肉はやわらかくておいしいんだけどな~〉
〘牛鬼、そんなことカラス天狗のダンナが聞いたら、怒りますよ・・・〙
〈はいはい、もう言いませんよ。山童は本当にカラス天狗のダンナがこわいんだね~〉
〘・・・・〙
《まあ、久しぶりの私たちのうたげだ。今日は楽しもう》
草の影から彼らの会話を聞いていた僕はあの妖怪たちに見つかったらやばいと直感的に思った。とりあえず音をたてないようにこの場から離れよう。ゆっくり・・・ゆっくり・・・。
僕の足元で木の枝が割れる音がした。それを頭で理解する前に、Tシャツの襟を持ち上げられた。
〈何コソコソしてるのかな?君、人間の子供だよねぇ?〉
僕を持ち上げたのは頭が鬼のようで、体は牛に似た妖怪だった。周りの妖怪たちは僕を見てザワザワっと騒ぎ出す。
《まさか、子供が1人紛れ込んでるなんてな・・・。どうするんだ牛鬼》
〈そんなの、喰っちゃえばいい〉
全身から、一気に血の気が引く。頭の中もぐちゃぐちゃですでにパニック状態で、冷静に判断ができない。
〘まってください!〙
〈・・・なんだよ。お前は俺らの正体が人間たちにバレてもいいっていうのかい?〉
〘・・・いえ。ただ、独り占めしないでいただきたいだけです。喰べるなら、人数分分けていただけますか?〙
さっきまで、子供を喰べるのに抵抗を占めていた山童さえも、すでに僕を見る目は血に飢えた目だった。ああ、だめだ。このままじゃ食べられちゃうよ。さっちゃんにもじいじにも、まだ謝ってないのに。椿くんだって、きっとすごく悲しむ。椿くんを1人になんてさせたくないよ。さっちゃんとだって、まだ、一緒にいたいのに・・・!
ぎゅっと固くまぶたを閉じ、来るであろう激痛を覚悟していた。しかし、何分持っても痛みが来ない。そっと目を開くと、牛鬼達がウーウーとうなりながら、うずくまっていた。すると頭上で男の声がした。
「お前らは何をしている。あれほど子供をおそうなといったのに・・・」
僕は鳥に似た妖怪に抱きかかえられていた。なぜか、怖いと思わなかった。むしろ、なんだか懐かしい感じがした。
「・・・あれほど夜中に外へ出歩くなといったのに・・・」
「・・・え?」
「元の世界に送ってあげよう。君は少し眠っていなさい」
そう言われ、だんだんまぶたが重くなり、眠気がおそってきた。そのまま僕は、深い眠りに落ちた。

また夢を見た。
ミーンミンミンジー・・・とせみの鳴き声が聞こえる。病室のベットに誰かが横になっていた。ベットの傍らにある椅子には、以前見た、鳥居で泣いていた少年が座っていた。少年の側には、40代ぐらいの女性が立っていた。
「・・・つばきくん毎日   の様子見に来てくれてありがとね」
声が少しだけ聞きにくい。
「僕のせいだから・・・僕があんなもの落とさなかったら、   ちゃんはこんなことにならなかったのに」
「そんなことないわ。つばきくんは全然悪くないわ。だから自分を責めないで・・」
窓の外が赤くなると、部屋の中はいよいよ暗さを増していき乱れることなく一定の波長を描くモニターの赤い線が暗い部屋の中で浮かび上がる。機械装置から伸びる管や線をたどっていくと、そこには酸素マスクを装着され、
「・・・僕は佐和子ちゃん起きるまでここに通い続けます。何年も・・・何十年も」
まるで人形のように真っ白な顔で眠るさっちゃんの姿があった。
そこで、バッと目覚める。すると、そこは原っぱではなく、天狗神社の風景が広がっていた。
「まーくん!!!」
近くでさっちゃんの声がして、上半身だけ起こす。さっちゃんは「よかった・・・よかった」と言いながら、僕を抱きしめる。
さっちゃんのそばには、さっきのカラス天狗とじゃのめの姿があった。
「・・・やっぱり、カラス天狗はじぃじだったんだ。会うのはじめてのはずなのに、全然そんな気がしなかったから」
「ふー、あれほど忠告したのに。本当に子どもというのは、大人の言うことを聞かん・・・」
じぃじはあきれたようにため息を吐く。
「ごめんなさい・・・。あと助けてくれてありがとう」
じぃじはフッと笑い、神社の境内にじゃのめと一緒に行ってしまった。多分気をつかわせてしまったのだろう。
さっちゃんは涙は止まったが、まだ目元は赤い。
「・・・さっちゃんに聞きたいことがある」
「私も、まーくんに言わなくっちゃいけないことがあるの・・・」
僕はさっちゃんに夢で見た話をした。さっちゃんは全て事実だと言った。
「私、あのとき急いでて、そのまま足をひねって頭を打ったの。それで気づいたらここにいた。最初はビックリしたわ。自分がまさか20年後タイムスリップしたなんて。あの日まーくんと別れて、自分の家まで行ってみたの、やっぱり少しだけ村の雰囲気も変わってて20年前にそこにあった私の家には、ほかの家族が住んでた。それで、この神社に戻ってきたらあのおじいさんがすべて教えてくれた。でも、それでもやっぱり少しだけ信じられなかった。だって、まーくんがつばきくんにそっくりだったから。だからどうしても信じられなかった。でも、お祭の日に大人になった椿くんを見て、やっぱりタイムスリップしちゃったんだって…そこでやっとわかったの。そして同時にこの世界にはもう自分がいないこともわかった。椿くんにはもう奥さんがいて、まーくんのような優しい子どもがいる・・・」
さっちゃんは目に涙をためながら言った。
「このまま、元の世界に戻らないでここにずっと居ようかなって考えた。だけど、やっぱりまーくんを見てるとつばきくんに会いたくなっちゃうんだ。だから・・・だから私は帰りたい、元の世界に」
僕は何も言えなかった。彼女は椿くんや僕を見てるんじゃない。つばきくんを見てるんだ。
「・・・戻る前に見つけたいモノがあるの。20年もたってるから、本当にあるかはわからないけど」
「見つけたいモノって?」
さっちゃんは懐中電灯をつけながら言った。
「つばきくんが神社で落としたっていうプラモデルよ」
「プラ・・・モデル?」
「あれ?この時代にはないのかな・・・?えーと、車みたいなオモチャよ。つばきくんがね、はじめて祭の屋台の射的で当てたモノなの。普段そんなに感情を表に出す子じゃなかったけど、当てた時は本当に喜んでたな・・・」
ザクッ、ザクッ、ザクッ、ガサッ、ガサッ、ガサッ、
「でも、数日後にね、友達と神社で遊んでるときに、友達にプラモデルを貸したっきりなくなっちゃったの。なくした友達がいけないはずなのに、つばきくんはその子を責めたりしなかったの。ただくちびるをかんで、下向いてた。だから、私が探し出してやろうって思ったの!」
さっちゃんはつばきくんについて、僕に色々なことを話してくれた。僕たちは神社の周辺や、裏山のほうまでくまなく探したが、結局見つけることができなかった。
「二人とも、さぞかし疲れたじゃろう?ほら、麦茶でも飲んでちょっと休みなさい」
じぃじはいつもの姿に戻っていた。
「ごめんね、まーくん。こんな夜中に探すなんて無謀だった。それにやっぱり20年もたっちゃってるし・・・見つからないか」
はぁーとさっちゃんはため息を吐く。
「うむ。プラモデルというモノは知らないが、20年前にじゃのめが拾ってきたモノの中で車型のなにかがあったような・・・。これだ。これこれ」
じぃじは、奥の部屋からふろしきに包まれたモノを持ってきた。さっちゃんはそのふろしきを片方だけ解くと、その中には色々なガラクタ達があふれてきた。その中に赤いプラモデルがあった。
「おじいさん!これです!このプラモデルです!!」
「よかったね!さっちゃん」
「うん!」
さっちゃんはプラモデルを持つと、嬉しそうな顔をしてプラモデルをなでていた。


外に出ると、朝日が山から少しだけ出ている途中だった。僕とさっちゃんは並んで、クヌギの木の下にいた。あの日と同じ場所に。
「・・・もうお別れなんだね」
「うん。あっちに戻ったら、ここで過ごした記憶は消えちゃうんだって。おじいさんが言ってた」
「大丈夫。僕は絶対忘れない。さっちゃんのこと」
さっちゃんの体はどんどん薄くなっていく。もう本当にお別れなんだ・・・。さっちゃんは僕に抱きつく。
「・・・ありがとう。君に会えてよかった。私・・・記憶がなくなったとしても、まーくんにもう一度会いたい」
さっちゃんは顔をくしゃくしゃにしながら言ってくれた。
「うん・・・!また会おうね!」
さっちゃんは笑顔のままうなづき消えた。
僕は最後まで笑顔のままでいれたんだろうか
これが僕の最初で最後の初恋だった。

「まーくん!!」
あのあと、椿くんが僕を探しに、神社まで来た。最初はすごく怒られたけど僕を強く抱きしめ、「無事でよかった」とつぶやいた。 僕も負けずに抱きしめ返した。
家までの帰り道、椿くんは“サコ”さんについて僕に話してくれた。
「 “サコ”さんと僕は幼なじみだったんだ。僕が唯一の宝物のプラモデルをなくしてしまったときも、一緒に探してくれたんだ。 “サコ”さんには、あのとき申し訳ないことをしてしまったんだ」
「・・・ねえ、ずっと気になってたんだけど “サコ”ってあだ名?本名?」
どうしても聞かなくてはいけないと思った。さっちゃんは元の世界に戻って、つばきくんとどうなってしまったのか・・・。
「そうだな・・・。 “サコ”は僕がつけたあだ名だよ。本名は“佐和子”さんって言うんだ。 “サコ”さん呼びになれてしまって、ずっとこのまま読んでいたんだよ」
「佐和子・・・さん」
さっちゃんだ。そっか、僕のお母さんはさっちゃんだったんだ。僕はホッと胸を撫で下ろした。
「佐和子さんはずっと眠ったままだったんだ。でも3年たった頃にね、目覚めたんだ。医者も奇跡だって・・・佐和子さんの片手にはあのとき僕が無くしてしまったプラモデルがあったんだ。泣きじゃくりながら、ごめんねありがとう。ってこっちのほうが謝らなくちゃいけないのにさ、そのときにね改めてこの人と一緒にいたいって思ったんだ」
椿くんは照れながら、僕に話していた。僕もなんだかうれしくて笑ってしまった。

10

¦ 3年後 ¦
ジー・・・ミーンミンミンミン
セミの声。
ミーンミンミンミンジ―・・・
むせ返りそうな暑さの中、僕は神社へと向かっていた。
一段ずつ、しっかりと足を進める。石段のまわりは丁度木陰になっていて木々のすきまから涼しい風が心地良い。最後の一段をふみしめると目の前に少しばかり歴史を感じる神社が広がっていた。
「おお、久しぶりじゃな、雅弥(まさや)」
声のしたほうを向くと、じゃのめとじゃれているじぃじがいた。
「うん。久しぶり。じぃじも元気だった?」
「わしは、いつでも元気じゃよ。ッイテテ・・・」
じぃじは腰をこぶしでポンポンたたく。
「はは、本当無理しないでよ。もうそんなにわかくないんだから。ね、カラス天狗さん」
「雅弥。その名前で呼ぶな」
あれから3年の月日がたち、俺は中学生になった。あの日妖怪にあったことは鮮明に覚えている。でも、それを誰かほかの人間に言うつもりはない。
「雅弥ももう受験生か。どこの高校いくんじゃ?」
「隣町の高校。そのあと医学学びに東京の大学院行くよ」
「ってことは、もう村には帰って来ないってことか?」
「違うよ、ここは俺のふるさとだ。ちゃんと戻ってくるよ。だからそれまで神主やっててよ?じぃじ」
俺はそれを言って、石段を駆け下りた。
途中で左に曲がり、クヌギの木に近づく。

全てはここからはじまった。
それは、俺にとって、忘れられない夏で、さっちゃんとの最初で最後の思い出の夏だった。
今の俺を見たら、なんて言うんだろう。
きっと君は、微笑んでくれるだろう。
あの日と変わらない笑顔で。

おわり
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